2007年12月議会 討論
■賛成討論
市民派ネット 中西とも子
2007年3月30日に公表された、文部科学省の「沖縄戦に関する『教科書検定意見』撤回と、記述の回復を求める意見書」採択に関する請願に賛成の立場で討論します。
今年3月、文部科学省が発表した教科書検定で「沖縄戦」における記述について「軍の強制」に修正を求める検定意見がつけられました。
たとえば三省堂を例にとると、検定前は「日本軍に『集団自決』を強いられたり」とあったのが検定後は「追い詰められて『集団自決』した人や」と書き換えられました。そのために主語がなくなり、住民が自主的に「自決」したのか、それともアメリカ軍に追いつめられてのことなのか、何が原因で「集団自決」に至ったのか、分からなくなってしまいました。
文教常任委員会における、この請願に対する反対意見は、「軍の関与はあったが、強制はなかった」とか「2つの意見に分かれているので、撤回せよというところには賛成できない」あるいは「調査研究が不十分」「政治は教育に介入しないという原則だ」などの理由で、請願には賛成できない、というものでした。
私は、より多くの議員の方々に賛成していただきたいという思いから、これらの反対理由が解消されれば、賛成していただけるのではないか、という期待をこめて討論させていただきます。
はじめに「日本軍の強制について」ですが、これは先に増田議員が詳細に説明されたように、すでに多くの文献や証言が存在します。沖縄戦は唯一の地上戦であり、本土決戦をできるかぎりくい止めるためにも、天皇の軍隊の名の下で沖縄住民に対して「住民は軍とともに戦い死ぬべきである」という「軍官民共生共死」を命じました。そして、敵の捕虜になることを禁じ、手榴弾を配り、軍隊が直接ではなくとも役場の職員や警察官、教師などを動員し、命令を徹底させたことが明らかになっています。このような状況下で「軍の命令が直接あったか、なかったか」を論じることは「屁理屈」の領域であるように思われます。
また、「2つの意見に分かれている」という意見についてですが、1997年8月29日の、高校日本史の検定のあり方について争われた家永教科書検定訴訟第3次訴訟の上告審判決(最高裁・大野判決)は検定制度は合憲としたものの、検定における裁量権の逸脱があったことを認めました。そして「沖縄戦」の記述に対しては、以下のように述べていますので、少し長いですが引用します。
「原審の認定したところによれば、本件検定当時の学界では、沖縄戦は住民を全面的に巻き込んだ戦闘であって、軍人の犠牲を上回る多大の住民犠牲を出したが、沖縄戦において死亡した沖縄県民の中には、日本軍によりスパイの嫌疑をかけられて処刑された者、日本軍あるいは日本軍将兵によって避難壕から追い出され攻撃軍の砲撃にさらされて死亡した者、日本軍の命令によりあるいは追い詰められた戦況の中で集団自決に追いやられた者がそれぞれ多数に上ることについてはおおむね異論がなく、その数については諸説あって必ずしも定説があるとはいえないが、多数の県民が戦闘に巻き込まれて死亡したほか、県民を守るべき立場にあった日本軍によって多数の県民が死に追いやられたこと、多数の県民が集団による自決によって死亡したことが沖縄戦の特徴的な事象として指摘できるとするのが一般的な見解であり、また、集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体の在り方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たらないとするのが一般的であった、というのである。
右事実に照らすと、本件検定当時の学界においては、地上戦が行われた沖縄では他の日本本土における戦争被害とは異なった態様の住民の被害があったが、その中には交戦に巻き込まれたことによる直接的な被害のほかに、日本軍によって多数の県民が死に追いやられ、また、集団自決によって多数の県民が死亡したという特異な事象があり、これをもって沖縄戦の大きな特徴とするのが一般的な見解であったということができる。」としています。また、「集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切でないとの指摘もあることは原審の認定するところである」とも指摘しています。
以上は沖縄戦をめぐる歴史教科書の記述をめぐる、最高裁の判断であり、当時の文部省も認めていた内容です。
それなのにわずか10年間で、この最高裁で確定した歴史認識が覆ったことになるわけですが、覆るに足る合理的な科学的根拠は提示されていません。唯一よりどころとなっているのは文部科学省の教科書調査官が、(2006年12月に)執筆者や教科書出版社に対して記述の訂正を求めた検定意見書を通知した際に、沖縄戦研究者の林博史関東学院大教授の著書である『沖縄戦と民衆』を挙げたことです。
しかし、そのことを教科書執筆者から聞いた林 博史教授は大変驚き、恣意的に参考資料にされたことに対して「確かに私の本には『赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考えられる』(同書161頁)というような一文はあります。しかし、これは「集団自決」当日に「自決せよ」という軍命令が出ていなかったとみられるということを書いただけで、軍による強制がなかったということではありません。同じ本の別の頁には『いずれも日本軍の強制と誘導が大きな役割を果たしており』『日本軍の存在が決定的な役割を果たしているといっていいだろう』(共に179頁)と書いており、これが「集団自決」に対する私の基本的な考え方です。そんなことは普通に読めば分かるのに、たった1,2行を全体の文脈から切り離して軍の強制を否定する材料に使うのですから、ひどい検定としかいいようがありません」と、怒りを覚えたというふうに述べられています。
先日の12月17日付けの朝日新聞紙上で、大阪市大正区に暮らす沖縄県出身の住民らが沖縄戦での「集団自決」など戦争体験の証言集めに取り組んでいることが紹介されました。記事は「記憶と心の壁に向き合いながら、沈黙を破って語り始めた人もいる」として、具体的に慶留間島出身の78歳の女性から聞き取りで綴った調査記録を紹介しています。家族にも話したことがなかった女性は重い口を少しづつ開き「当時、『日本人として恥ずかしくない態度を取りなさい』と命令がありました。監視兵が言ったのを父が聞いたのです。それは死ねという意味でした。」と証言し、自決した父親や、娘の首を縄で絞め、死んだものと思い込んだ母親は豪の外で、米兵に殺してくれと懇願したということです。女性はさらに「私らも一緒に死ななきゃならんと思っていた。軍がおらんかったら、そこまで思わんかったでしょ。愚かなことをした」とかろうじて生き延びた女性の心は、今もなお痛ましい体験の呪縛から逃れられない様子で、「生存者は今も恐怖心と真実を話したい気持ちの間で揺れ動いている」という聞き取り調査をおこなった市民の声も紹介していました。
過去の検定の経過をみると、沖縄戦での日本軍による住民虐殺の記述が影をひそめ、集団強制死が「集団自決」と置き換えられました。また2001年以降、中学校の教科書から「慰安婦」という表現が消えています。日本軍の犯した行為がひとつ、またひとつと歴史を書き換えるがごとく消されていく、というしかもそれがまさに文部科学省という国家による教育への介入で行なわれている、ということを、断じて許してはならいと考えます。「政治は教育に介入すべきでない」というならば、真っ先に国家による教育への介入を正すべきであるはずです。
私は、他民族を抑圧し侵略した軍隊は、自国民をも守らなかったという歴史的事実をしっかり次世代へつないでいくことが、歴史に学び、未来を築くために不可欠であると考えます。歴史の改ざんは絶対にあってはならないことです。9月29日の教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会は11万6,000人の参加者で埋め尽くされました。また、研究者・教育者が会員となっている歴史学研究会は27人の呼びかけ人と646人の賛同者で「沖縄戦の事実を歪める教科書検定の撤回を求める歴史研究者・教育者のアピール」を採択しました。さらに10月20日段階で、沖縄県議会および41すべての市町村議会をはじめ、5府県18市2区5町の自治体で「集団自決」検定意見撤回を求める意見書が採択されています。
教育基本法が改定され、平和憲法さえも危うくなってきている今日、戦争や軍隊を美化しない平和教育を続けていくためにも、ありのままの歴史教育を保障していくのは、我々の責務です。
箕面市議会のみなさまが良識を示し、是非この請願にご賛同くださることを、心から呼びかけまして、私の討論を終えます。
2007年12月議会報告へ戻る
トップページへ戻る